舌癌患者(男性)の体験談  2013.8.18

ーーー陽子線治療を経験してーーー

応募者 T.MICHINAKA & H.MICHINAKA

※この応募体験談は、平成25年8月18日「口腔・咽頭がん患者会」で「私の体験談」としてお話いただいたものを収録しております。

 

舌癌の兆し

 私は大阪府枚方市に住む道中と申します。

 平成20年夏頃より舌の奥が何かした拍子にチクッとすることがありました。しかし身体は特に異常無く、盆に家族で旅行に行ける位特に何も変化はありませんでした。後になって、この頃すでに口臭がきつかったと家内は言っています。当時私は63歳になった所でした。

 歯医者に行ったりして診て貰ってはいましたが、歯周病では?と言う事で始めは歯周病の治療を受けていました。その内に舌が奥歯に当たるとギクッとする程の痛みを感じるようになり、奥歯を抜きましたが痛みは治まらず、酷くなる一方で、舌の奥にポツリと小豆位のポリーブが出来ている事が分かり、歯医者から口腔外科への紹介状を貰い、T市のO大学病院で診て頂きました。その場ですぐに「舌癌」と診断され入院となりました。それが平成2011月頃の晴天の霹靂の出来事でした。治療入院。医者は舌を二分の一切除する手術が必要と始めは言いました。二分の一ならあとリハビリで喋れるようにも成りますよと言う事でした。
 軽い糖尿病もありましたので、手術の前に一ヶ月内科で、食事治療と薬治療で入院しました。

抗癌剤治療も同時に始めました。名前は忘れましたが、飲み薬でした。
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月半ば頃にいよいよ手術と告げられましたが、中々私自身踏み切れなくてどうしても「切る」と言えませんでした。それで放射線科へ廻されて、一番強いのを35回あてますと言われました。

  ここでの説明はなんとも心細い説明で、「やって診なければ分かりません」ばかりで、今までのデーターや結果の後遺症の事を書いた医学書を読んで、ここにはこう書いています・・・。最後に全て了解して治療を受けますか?と言われ、心許ない説明ではありましたが、切るのが嫌ならこれしか治療法は無いと言われたので承諾致しました。
 1226日から始まる予定でした。しかし家内も五里霧中のような説明と、治療に伴うリスクの大きさに不安に思ったのか、色々人に聞いて他の病院を紹介して貰ったりしていたみたいです。年明けにセカンドオピニオンでI大の耳鼻咽喉科に行くので、放射線治療を少し延ばして欲しいと言って、1月20日にI大の耳鼻咽喉科でセカンドオピニオンを受けました。

  セカンドオピニオンでI大での診断は、舌亜全摘、両頸部郭清術、再建術、必要により下顎骨部分切除術、喉頭全摘術が好ましい。当然嚥下障害、構音障害は免れないと診断されました。
 私は機能障害を抱かえて生きるより数年であっても手術以外の方法を知りたいと聞きました。
「保証は無いですが、現在南東北癌陽子線治療センターにおられる不破先生が舌動脈経由で抗癌剤を投与しながら放射線をする、化学放射線療養をされています。希望されるならインターネットで見てコンタクトを取られたら?」と仰しゃられたので、家内は「そこは知ってますが、その治療は主人に良いのですか?」と聞き返しました。
「学会でも良い成績を出されている専門家です。以前の愛知県癌センターでもこのような進行癌の放射線治療を多数手がけられています。もし現在の勤務先でやっておられなくてもお弟子さんなどを紹介して頂けるはず。」と言われましたので、家内はすぐに資料を持っていましたので電話で連絡を取りました。

 

南東北癌陽子線治療センターでの治療

  不破先生は、電話で家内の話しを一部始終聞いて下さって、その上できっぱりと「僕は舌だけでなく命も残したい」と力強く言って下さいました。

  迷う事無く次の朝一番の飛行機で福島県南東北病院へ二人で行く事に成りました。

  先生は「やはりステージ4でかなり進んでいます。首の所に2箇所転移もみられます。それは後で手術することにしてまず舌を治療しましょう」と。それから今までの舌癌の方の治療例のDVDを見せて詳しく説明して下さいました。全てご自身が体験された治療例なので自信を持って話されました。 

 始めてお会いした方ですが、誠実で力強い説明に、この方に全てをお任せしようと私達二人は、全幅の信頼を寄せその場で「お願いします」と入院手続きをしました。

  入院してからは、24時間、全身の点滴シスプラチンだったと思いますが、抗癌剤が一週間程続きました。それから放射線に入りました。便秘が酷かった位で他には別に副作用も無く、だんだん痛みも治まっていきました。
 ところが、26日突然舌の動脈から出血があり、もう駄目かと思う程出血しました。輸血の用意までされたのですが、最後まで不破先生が指を突っ込んで一時間半かけて止血して下さいました。それで予定より早く翌日から動注治療(舌の動脈に直接抗癌剤を注入する)が始まりました。陽子線治療も始まり、どんどん良くなっていくのが自分でも分かりました。
 二ヶ月間は耳の横の浅側頭動脈にカテーテルを入れて、右と左に大きな注射器みたいな管をぶら下げていましたが、直接舌に抗癌剤を流すので薬がよく効いたみたいで、みるみる舌がピンク色になり綺麗になっていきました。家内の舌より綺麗に成ったと家内は言っていました。
 陽子線は一日一回15分位で照射は23分程度です。これを15回程しました。入院中は、やはり糖尿食が出ましたが、家内が用意した玄米のおにぎりを無理でも毎食1つ食べていました。
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月の始めに無事先生が計画していた治療を全部終える事が出来、退院する事が出来ました。
途中で副作用が酷く治療を断念しなければならない方達もいたようです。私は退院する23日前から口内炎が出て来ました。

副作用
 家に帰ってから、一ヶ月程舌全体の口内炎が酷く、食べる事が辛くて流動食を、直接舌に触れない様にして喉に流し込み、食事を摂りました。病院でもカロリー計算された缶詰を用意してくれました。その時が一番辛かったです。舌の皮が一皮剥けたようです。
 しかし、先生は「薬が効いている証拠で良かった」と仰ったので、乗り越えられました。
 
以上が私の舌癌5ヶ月間の闘病生活の全てです。


現状
 現在丸4年あしかけ5年経ちますが、舌癌に関しては何も心配や不安はありませんが、酸味や醤油、辛子、唐辛子、カレー等はまだ舌に刺激があり控えて居ります。唾液の出も悪く、すぐに口の中が乾くので絶えず水分補給をしています。
 先生も舌癌に関しては、98%大丈夫だろうと言って下さっていますが、年に二回位ペットを撮りに行っていました。先日727日の検査の時に、今度から一年に一度のペット検査で良いとの事でした。それと一年に一回は、胃の検査をしなさいと言われています。
 最後に・・・只、日に日に老齢化していく身体と旨く付き合っていくのが、今の私の取り組みで、老人性逆流胃炎とか、耳鳴りとか、飛蚊症とか色々あり、消極的な気持ちになったり、家にジーッとしている日が多くなっていますが、舌と命を残して下さった不破先生に感謝して、贅沢は思わないと日々送って居ります。

 これで終わらせて頂きますが、何か解りづらい事があれば後で何でも質問して下さい。

次に家内が、不破先生に出会う迄を詳しくお話致します。


不破先生と出会うまで(H.M
 最初に三木さん(注:当会事務局)からお話を伺ったときは、本当は随分迷いました。
 ここにお集まりの方はそれぞれに凄まじい闘病経験を余儀なくされてこられた方ばかりで、私共のような拙い体験でよいものかと・・・でもお世話になった三木さんのお心に少しでもお応えさせて戴こうとの思いで、踏み切りました。

闇の中で
 主人が手術に踏み切れないので放射線治療を薦められましたが、0大での放射線科の無責任な対応に、失望と不安を抱いたのは事実です。他の病院に移ろうかな?と思いました。
 関西なら大阪大学か大阪府立成人病センターが有名なので、主人にとってそこが良いかな?と思い、以前から行っているお寺で聞いてみましたら、「ご主人の事を語っていく所に願っている治療の道が付いていきますよ」と言って頂き、少し安心した次第です。

語っていく所に
 まず兄嫁から、テレビで不破信和と言う医師が、舌癌を切らずに治療すると聞いた、と聞いて、テレビ局から資料をファックスして貰いました。また同じ頃、インターネットで知ったと、福島県郡山市の南東北病院が平成2010月がん陽子線治療センターを開設して、不破信和医師と放射線科のスタッフで、陽子線を使って舌癌、頭頸部癌を切らずに治療する事が出来ると言う資料を、送って下さった方がいました。
 その資料を主治医に見て頂きましたが、初期癌なら兎も角、道中さんの場合は、転移も見られるし、無理だろうとあっさり否定されました。
 その頃三木さんのご主人が舌癌で大変だったと聞いて、さっそくお電話した次第です。三木さんは、気持ち良く貴重な闘病体験レポートと、舌の構音機能回復訓練プログラムとテープを付けてさっそくご送付下さいました。感謝で読ませて頂きましたが、余りにも壮絶な内容でしたので、ご夫妻ご家族のご努力、忍耐強さ、そして生きる為に必死に闘っている姿に涙致しました。
 私はこの時予想していた以上に、尋常な事で無い現実を知りました。それで東京の長男に、これを読んで欲しいと頼み、「どうする?」と相談しました所、「舌が無くなっても生きて欲しい、親不幸して来た分これからお父さんには孝行したいと思う。だからどんな形ででも生きて欲しい!!」と息子の切ない胸の内を聞かされたのでした。私はこのレポートを主人にはとても見せられませんでしたが、優しい息子の気持ちに触れ得た事が、とても嬉しく思いました。
 話しを知った方達は、早く癌の所を切らないと転移して命に関わるのでは、と心配して下さいましたが、主人は絶対にそこまでして生きたくないと主張致しました。
命を守る為に、二分の一だけ切るから、リハビリで大丈夫回復するからと言って手術を薦めようか?
でも結局全部切除となったら?自尊心の高い主人の事、裏切られたと失望するのでは?不自由になった身体であと生き抜いていくだけの勇気が残っているだろうか?自ら死を選んで自殺するのでは?と脳裏に色々と不安が過ぎりました。この時が一番苦しく、選択を迫られて悩みました。
 でも結局自殺される位なら痛い思いをさせないで、好きな様にさせてあげるのが私の務めではないだろうか、その間優しく温かく辛抱強く支えるのが私に託された使命なのだろう・・・、と覚悟を決めました。
 あれやこれやと思案しながらも、兎に角主人の意志を第一に尊重していこうと考えました。
「語っていく所に願っている治療の道が付いていく」と言う言葉を思い出し最後には、気を持ち直しました。
それで最高の治療を求めて探してみようと、背水の陣を敷く事に致しました。
 そして三木さんのレポートで知ったセカンドオピニオンという言葉が私の脳裏から離れませんでした。


セカンドオピニオン
 丁度江坂に免疫治療法と言うのをやっている病院があると聞いて、主治医に相談しましたら、
 それは過去に一人患者で受けた方がいて悪くは無いと言う事で、パンフレットを取り寄せて見ましたが、二月迄予約が一杯だと言う事でした、一応予約を入れましたが、悠長なお話でした。
そうこうしている間に、ネットで見たと新しい情報が又入って来ました。
 東京の三田病院では患者の希望を尊重して、希望に合った治療に、全力でお応え致しますと言うフレーズがあったと。
 余りにも甘い言葉に思えて信じられない気持ちも少しありましたが、藁をも縋る思いで、ここでセカンドオピニオンを受け、今後を相談しようとこの時私なりに考えを固めました。
 それで、東京の娘に三田病院を見て来てと、依頼していました。このような折に、有難い事に知人から、天王寺のI大病院の脳外科に居られたと言う先生を紹介されました。
その方から後輩の耳鼻咽喉科に、優秀な信頼のおける先生がいるので紹介します、手はずは付けておきますから早速ですが、120日にセカンドオピニオンを受けてみて下さいと言って頂きました。
 しかしここでも、「命を守るためには切るしかここでは手立てはありません」と言われた時は、さすが意気消沈致しました。
 「どうしても切るのが嫌なら保証はありませんが、最近学会で南東北病院癌陽子線治療センターの不破信和先生が」とその時その名前が上がったのです。私は、そこは存じていますが主人にとってその治療は良いのでしょうか?と聞きかえしました。実は2月に免疫治療を申し込んでいる事もお話致しました。「免疫治療は、明らかに癌が存在しているのでお薦めできません。再発予防手段ならありうるが、まだこちらの方が良いのでは?」と言って頂き、それでは、不破先生に連絡を取りますと、きっぱりと言って帰ってきました。この時何故か何か心が躍りました。
 私は主治医に素直に従うものだと思う一人ですが、主人の気持ちを大切に思っていった所に功を奏したのかも知れませんね。(笑)このように暗中模索の中にあっても、最期には最良の治療をして下さる、不破先生に出会えたのですから。

不破先生との出会い
 そして又後で解った事ですが、始めて不破先生を訪ねて診て頂いた時に、「首のリンパは東京の三田病院で腕の良い外科医がいるから、そこに後で舌の治療が終われば紹介するから、そこで手術を受ければ良い」とも言われ、またまたびっくりしました。
 三田病院というのは、先にセカンドオピニオンを受けようかと思っていた東京の病院で、鎌田先生と言う主になる医師がいて、患者の気持ちを一番に優先して、最先端の医学をもった優秀な医師とスタッフが集まった医師団だったのです。不破先生もそこのメンバーの一人だったのです。
 もしかしてセカンドオピニオンで三田病院へ行っていても、「切りたくない!」と主人が叫んで、不破先生の動注治療と陽子線にお世話に成っていたかも知れません。恐らくそう成っていたと思います。
 不思議な話しではありますが、最初に「語っていく所に願っている治療の道が付いて行きます」と言うお言葉通りに成りました。
 そして首の所のリンパの癌は、二箇所在りましたが場所が良かったとかで、舌の動脈に流す抗癌剤を少しカテーテルの向きを変えるだけで、同時に流す事が出来、消えたとの事でした。それで手術をしなくて済みました。
 不破先生も最後には、「道中さんは、抗癌剤も放射線も感受性が良く非常に良く効いた事が、生還した大きな理由だ」と言って下さいました。大変謙虚な先生の、お言葉だと思います。入院中も誠心誠意を籠めて接して下さいました。


感謝の心で
 最後に私はこんな偉大な先生に出会えた事が、不思議なお力に導かれての出会いであり、生還に繋がったのだとも思います。
 人生後半にして、大きな山を又一つ、皆様の温かいお力を頂いて、乗り越えさせて頂きました。大勢の方に励まされ、情報を頂いた事に感謝致します。
 しかし一番大切な事は、僭越ながら、主人が素直に私の言葉に耳を傾けてくれた事、私が主人の気持ちを大切に尊重出来た事が、舌と命を残す事に至ったのでは、とも思います。
 私は是非にセカンドオピニオンに勇気を持って臨んで頂きたい、治療の道は自ら進んで開いていかなければ成らないと痛感した次第です。

  今の感謝をもって拙い体験ですがお話しさせて戴きました。


余談
 
余談ですが私は、今回の事を通して昨今の情報社会に生きる為、始めてパソコンを買いました。ネットで、色々新しい情報を得る事が出来、新しい発見をして楽しんでいます。

 
ながながと今日はご清聴有難う御座いました。これで終わらせていただきます。