舌癌患者(女性)の体験談(7) 2011.9.1

息子に教えられた言葉を励みに、今を楽しく生きる

 

 人様の前でお話するのは苦手で,緊張すると訳が分からなくなりますので,書いてきたものを読ませて頂きます。

 今日は,発病から手術,そしてその後の過ごし方等をお話致します。

 

 私は,平成20年12月22日に舌癌の手術をしました。

舌左前方の小さなしこりに気付いたのは,10月半ば頃でした。何となく舌を触ってみたとき気付いたのですが,そのしこりは痛みも痒みも感じませんでした。それから1週間後,近くの内科医で受診をした折に,この事を先生にお伺いしましたら,耳鼻科に行くように言われました。

それで近所の耳鼻科で診て頂きましたが,そこでは「大したことはないと思うけれど,詳しく調べた方が良いでしょう」と,県立病院の耳鼻科を紹介して下さいました。

 そして県立病院では,K大学病院で受診するようにと紹介して下さり,11月12日にK大学病院を訪れました。K大学病院では「親知らずの抜歯程度の手術なので,日帰りで良いです」と言われて,何の検査も無いまま,その翌日に手術をしていただきました。手術は30分程で終わり,「綺麗に取れましたよ」と言ってくださり,痛み止めと抗生物質の薬を頂いて帰りました。その日は,痛みがひどく出血もあり,ほとんど眠れませんでした。1週間が過ぎ,病院から組織検査の結果が悪い,と連絡がありました。翌日夫と息子と来院しまして,先生からご説明をしていただきました。

 病名は,唾液腺に出来る腫瘍で舌癌でした。進行が早いので,1日でも早く再手術をする必要があるということで,1週間後にと申されました。突然の事でしたので,息子は「ちょっと,考えさせてください」と言って,その日はCT検査を受けて帰りました。それから息子2人は,病気の事や病院はどこが良いかなど,実家の兄,姉や甥に相談したり,インターネットで色々調べてくれたようです。

 私は,舌癌という思いもよらない病気に,目の前が真っ暗になりました。病院は家族で相談した結果,成人病センターが良いということになりました。親族一同,私の周りにも舌癌という病気の者はおりませんでしたので,全くこの病気に対しては無知でした。

 12月1日に成人病センターを受診しました。F先生が診察してくださいまして,「最初から診ていないので,分かりにくい部分もありますが,一日も早く再手術をした方が良いでしょう」とおっしゃり,入院と検査の予約をして帰路に着きました。12月15日に入院をしました。

手術は,それまでにいろいろな検査をしていましたので,すぐにして下さるのかと思っていたのですが,12月22日になりました。手術前の私を,兄や姉,甥,姪たちが激励に来てくれ,不安な気持ちを和らげてくれました。そのお陰で精神的に落ち着いて手術に臨めたように思います。手術3日前に,先生からご説明を受けました。

 私の舌癌は,腺瘍膿胞というがん細胞が認められ,腺瘍膿胞は扁平上皮癌(一般的な舌癌の種類)に比べて放射線感受性が低いため,根治を目指すための手術,また神経に沿って進展する傾向が強いため,腫瘍に充分な安全域をつけた切除が必要と申されました。ステージⅡ期で,リンパ節に転移があればⅢ期ということでした。

 手術は,舌前方半切除と頸部左右リンパ節,顎の下部のリンパ節切除,さらに左足大腿部皮弁を取り,再建舌移植で,11時間に及ぶ大手術でした。24日のお昼前にICUから病室に戻りました。兄と姉,夫が看護師さんと共に迎えてくれました。とても嬉しかった。

 癌との闘いは,手術の後からが始まりだと言いますが,まさにその通りで,これから辛い闘病生活が待っていました。気管切開をしていましたので,声が出ないし喋れないので筆談です。一番苦しかったのは痰です。看護師さんに処理していただいても,また直ぐに息苦しくなるのです。何度も何度もナースコールをしました。手術後4日頃だったと思います。左の頬から顎,首にかけてすごく痛み出し腫れて来ました。付き添ってくれている姉や息子が心配して夜中でしたが,看護師さんや当直の先生に診ていただいたりして,お世話になりました。翌日F先生に診察していただきましたら,リンパ節の切除した部分が化膿していたそうです。処置していただいた後は,徐々によくなっていきました。術後1週間余りが一番苦しい時期でした。

 平成21年の元旦を病室で迎えました。元気で新年を迎えられたことに喜びと感謝の気持ちで胸が熱くなりました。病室から生駒山が綺麗に見えますので,初日の出を拝もうと楽しみに待っていたのですが,生憎曇り空でそれは叶いませんでした。回復するに従って体操をしたり,大声を出したり,何につけても生駒山を眺めながらしていましたので,生駒山は私に心の安らぎと勇気を与えてくれたように思います。

 2週間後,唾液が飲み込めるようになり,喉のカニューレも取れて,どうにか喋れるようになりました。時間はかかりますが,食事も割合上手にいただけました。喉から顎の引き攣れや,肩,左右の耳の痺れなどには悩まされていましたが,入院中は先生方や看護師さん達に見守られていましたので,それらの後遺症も辛抱ができました。

 手術後,3週間くらいで退院の日が決まりました。嬉しさよりも「こんな状態で大丈夫なのか」という不安がいっぱいでした。そんな時,看護師さんが患者会のことを教えてくださいましたので,思い切って出席させていただきました。Nさんの体験談やMさんのお話に感動しました。手術後2~3年で上手にお話されているSさん,Tさんのご様子や前向きに生きていらっしゃるお姿を拝見し,落ち込んでいた私は,勇気と希望を持って退院する事ができました。それ以来,患者会で勉強させていただく事が楽しみになり,今日に至っております。

 1月20日に無事退院しました。普通の生活に慣れるのには,大変苦労をしました。入院中それほど気にならなかった後遺症がすごく苦しくて悩まされました。頭痛や頭が重たくて,横になるとき,寝返りをするとき,起き上がるときなど,それはそれは一苦労で,痛くて涙が出るほどでした。顎の下から頬の周りの引きつれ,ツッパリ感,肩から右耳あたりが全体にしびれて,腕が痛くて肩から上に上がらないのです。これらの症状は暫く続きました。

 その頃の食事ですが,再建舌が動かない上,味覚感覚がありませんので,暫くは流動食で,それからお粥や豆腐,茶碗蒸しとか野菜スープ,それにブレンダー食をいただいていました。体力を回復しなければと思うのですが,気力が湧かないので悲しい思いをしました。気分が落ち込み,家族に泣き言を言ったり,我がままも言いました。

 

 6ヶ月を過ぎた頃,また息子に愚痴を言ってしまったのです。そのとき息子は「お母さん!お母さんの大変さ,苦しさはよく分かるけど,何度聞いても僕が代わってあげる事も,痛みや苦しさを取り除いてあげる事はできないよ。話して楽になるのであれば,いくらでも聞いてあげるけど~」と言い,「それよりも11時間という貴重な時間をかけて,一生懸命治してあげようと手術してくださった先生方や看護師さん達に感謝をし,その気持ちを忘れないで,前向きに生きていって欲しい」と,懇々と諭されたのです。

 「悔やんでも嘆いても仕方がないのだ。助けていただいた命を粗末にしないで,皆に心配や迷惑を掛けないようにしよう」と,それからは少々の痛みや痺れも恐れずに頑張る事ができました。そして患者会で教わった発声訓練や体操,散歩を毎日の日課として行っています。

 定期健診のとき,先生が「大手術をしたのだから,手術後3ヶ月が過ぎた時は,6ヶ月先を,6ヶ月が過ぎた時は1年先を見てください」とおっしゃいました。慣れること,舌が馴染むということだったのです。舌の痺れや顎の突っ張りなど,まだまだ違和感はありますが,これは私に科せられたものと受け止めて前向きに生きていくことにしました。

 以前習っていた太極拳を手術後1年4ヶ月から始めました。第一歩がなかなか踏み出せませんでしたが,先生や友人達が温かく迎えてくださいましたので,思い切って参加することにしたのです。回数を重ねるうちに徐々に体力も回復してきたように感じました。そして今年の4月からは,以前に習っていましたフォークダンスの教室にも通っております。もう二度と踊る事は出来ないだろうと諦めていたのですが,優しい先生や仲間の人達に声を掛けていただき,再開できました。素敵な曲に合わせてステップを踏んでいますと,病気の事も忘れて,あっと言う間に時間が流れます。

 現在無事に2年8ヶ月が過ぎました。お蔭様で抗がん剤や放射線治療を受けることなく,順調に回復しております。こうして元気で生活できるのは,F先生や手術に携わってくださった医療スタッフの方々,そして友人,家族の支えがあったからだと,本当に心から感謝をしております。

 今も頭の片隅にある「再発・転移」という不安な気持ちは拭い切れませんが,その時はその時と覚悟を決め,目の前の一日一日を大切に楽しく,希望を持っていきていこうと思っています。

 苦しい大変な経験をしましたが,患者会に参加させていただき,同じような病の人達と出会って,その体験談をお聞きして,私はいろいろな事を気付かせていただきました。勇気を持って,前向きに頑張れるようになったことに感謝をしております。

これからも,よろしくお願いいたします。

 

 今日は,お聞き取りにくい処が多々あったと思いますが,私のまとまりのない話に最後までお付き合いをしてくださいまして,ありがとうございました。